『[新編]まどか☆マギカ』と『戦国コレクション』、叛逆のほむらと謀叛の光秀

もはや先月の話ですが、『[新編]まどか☆マギカ 叛逆の物語』を観ました。
だいぶ間も開いたので、ネタバレとかは特に気にせず、かと言って本筋の話もするわけではなく、
この映画を観ていて『戦国コレクション』のことを思い出した、ということを書こうと思います。


『叛逆の物語』では、今の世界が虚構であり、それを作ったのは自分の心だとほむらが気づくのが中盤までのストーリーです。
これは『戦コレ』の第19話で、探偵として事件を追っていた明智光秀が、自分が犯人であるという真相にたどり着いてしまい、
その真相が失っていた自分の本当の記憶である、織田信長を殺してしまったことだったというストーリーを彷彿とさせます。
『叛逆』では真相に気づいた時は世界が焼け落ち、『戦コレ』第19話では世界が舞台となり幕が下ります。
その後、ほむらのソウルジェムが魔女のそれ以上に黒く染まるのは、
『戦コレ』第20話の光秀の秘宝が嫉妬によって生まれる部分に近い印象でした。


そして、ここからが重要なところです。
ほむらはまどかの作った理に逆らい、彼女が人間として自分と対等な状態となるよう理を作り替えます。
一方の光秀はというと、最終回で彼女は信長の行ってきた秘宝集めに介入し、信長と対等な舞台に上がります。
『叛逆』では、ほむらは新たな理の世界でまた転校するところから始めます。
つまり、もう一度やり直すということをしているんですね。
次に『戦コレ』最終回ですが、こちらは今川義元が信長への雪辱のため、再び戦を仕掛けるところから始まります。
そして、信長と光秀がそれを撃退した後は、光秀が再び信長に逆らい、彼女から秘宝を奪い上記の関係となります。
これはつまり、義元による二度目の桶狭間の戦い、光秀による二度目の謀叛というやり直しを描いていたのではないかと思います。
その後、信長と光秀は今までの道を戻るように走り、場面は今まで出てきた各キャラに移っていきます。
これらは全て、もう一度やり直すという意味を持っているように映ります。
ほむらの叛逆と、光秀の謀叛は、どちらも同じ自分の想いのためにもう一度やり直す行為という点で、前者を観て後者を連想しました。


これは当然、『叛逆』が『戦コレ』の真似などと言いたいわけではありません*1
百合的な内容でこういった行為が被るのは面白いし、何より描かれ方の違いが出ていたのが興味深いところでした。
『叛逆』のほむらの行為はまどかの理を書き換え、まどかの本心とは対立する、一種の悲劇的なものでした。
『戦コレ』の光秀の行為は、二度の謀叛を行うことで信長と同じ場所に居られることを選択する、いわゆるハッピーエンド的なものです。
展開や行為に類似点が多いのに、表現したい情感や印象のベクトルが逆というのが、映像作品的な面白さだなと感じるところでした。


ちなみに、『戦コレ』は各話オムニバスで毎回違ったテイストのシナリオや美術が楽しめる作風なので、
ご興味のある『まどマギ』ファンの方はぜひご覧いただければと思います。
結構アーティスティックな美術で、色使いもいいので『まどマギ』好きな方にもいいのではないかと。


戦国コレクション関連エントリ

*1:『戦コレ』を観て構想を考えるというのはスケジュール的に不可能ではないかとも思いますし。